みなさんこんにちは、ノミです。
今回は高村光太郎による詩『梅酒』を読んでの感想、考察を書いていきます。
『梅酒』は『智恵子抄』という作品内にある詩のひとつなんですが、表現のしかたといい、音読した際のリズムといい、とても心地いのでぜひ紹介したいと思いました。
同じく『智恵子抄』内にある詩『レモン哀歌』に関しての感想・考察はこちらの記事にまとめていますので、あわせて読んでみてください(おそらく、『レモン哀歌』は学生時代に読んだという方も多いのではないでしょうか)
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【レモン哀歌】脳裏に焼きついて離れない高村光太郎の詩
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高村光太郎による詩『梅酒』
まずは、『梅酒』を読んでみましょう。
死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱んで光を葆(つつ)み、
いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
おのれの頭の壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂瀾怒濤(きょうらんどとう)の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻にする。
夜風も絶えた。
(青空文庫から引用)
詩の背景
まずはざっくりと『梅酒』の背景をば。
これは、高村光太郎の妻・智恵子が亡くなった後のできごとです。

詩の構成は以下の通り。
●冒頭→梅酒に関する表現
●中盤→智恵子が生きていた頃の回想
●終盤→梅酒を味わう光太郎、静寂の訪れ
読んでみての感想・考察
読んでみていいなと思った点をまとめてみました。
ここからは、かたくるしい説明というよりか、推しについて語るような熱のこもった文になるかと思います。
梅酒に関する描写
ん~~~!!まずは!
梅酒の描写がすてき。
梅酒をこんな表現で表せることに鳥肌が立ちます。

『十年の重みにどんより澱んで光を葆(つつ)み、いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。』
「葆む(つつむ)」という漢字は初見だったのですが、なぜ「包む」としなかったんだろうと気になりました。で、調べてみたところ、「葆」という漢字には次のような意味があるそうな。
⑤の意味に関しては読みから想像できるのですが、気になったのは③「たから。宝とする。」という意味。
智恵子が残していった梅酒が、単なる思い出の品ではなくて「宝」に値するレベルの大事なものであったことがわかります。
また、「琥珀の杯」の琥珀と③の意味がうまい具合に呼応していて、なおさら素敵だなと感じました。

(琥珀の見た目はこんなかんじ)
琥珀というものを、初めてまじまじと見てみたんですが、しっかり透き通っているわけではなくて若干にごった印象がありますね。

ただ、ちょっと自分で解釈できなかったのが『凝つて』という箇所。
「凝る(こごる)」には、「液体状のものが冷えて固まる」「ばらばらのものが集まる」という意味がありますが、ここではどんな意味として機能しているのでしょうか…。本来液体である梅酒が、杯(さかずき)に入ることによって一定の形を帯びることを指しているのでしょうか?
かちこちに固まるわけではないので、「凝る」とはまた違うのでは?と首を傾げたり。

今までのことをまとめてみると…
〇「梅酒」
〇「澱んで」(琥珀や、梅酒の濁り具合と重なる)
〇「葆む」(包む、の意味以外に「宝」の意味)
〇「琥珀の杯」(梅酒の見た目や、「葆む」に重なる)
〇「玉」(ここではおそらく単純な「玉」ではなく「宝石」という意味で用いていると考えられる)


智恵子が生きていた頃の回想
梅酒をつくった智恵子のようすが語られます。
智恵子は精神分裂症(今でいう統合失調症)に苦しみ、肺結核によって最期を迎えました。
直接的な病名は記さないものの、詩の中の次のふたつの表現は、智恵子のつらさをありありと想像させます。
・「おのれの頭の壊れる不安に脅かされ」
・「七年の狂気」
しかも、この描写が、「これを召し上がってくださいねと光太郎に対して智恵子が言った」というエピソードのあとに、トントンとやってくるという…。智恵子の優しさがわかる表現のあとに、病に苦しむ彼女が描かれるさまは、読んでいてなかなかにしんどいです。
病はこうもひとを蝕むのか、というのを短い文の中で表しています。
私は『智恵子抄』のすべてに目を通したわけではないので、確実なことは言えませんが、光太郎は「死」に関する直接的な表現をあまりしないような印象を持ちます。『レモン哀歌』では、智恵子の亡くなるさまが描かれますが、息を引き取る際の表現が「機関はそれなり止まった」なんですよね。
今回の作品では「七年の狂気は死んで終つた」とされていて、「死」という言葉は使われているけれども「智恵子が」という主語にはしていません。あくまで「七年の狂気」とされています。
梅酒を味わう光太郎、訪れる静寂
中盤でかなり心を揺さぶられたあとにやってくる、梅酒タイム。
回想から現在へと時系列が戻ってきます。
ここだけ単体で見ると晩酌タイムかな?ってかんじですが、冒頭から中盤への重みがあるゆえに、ここの「梅酒」がただならぬ光を放っている気がします…。

心揺さぶられる中盤が「動」とするならば、終盤は「静」という印象。
ここでの「あはれな一個の生命」はおそらく智恵子のこと。正視するのは光太郎。智恵子のことを想って梅酒を飲むこの時間は、誰にも邪魔されない(否、邪魔されるべきではない)ものだと読み取れます。それは、自然も同様で、夜風でさえも彼らを邪魔することはありません。
ただ遠巻きに、彼らを静かに静かに囲んでいます。



1分もあれば読み終える詩ですが、いろいろな味わい方ができる作品だと感じました。
ここでちょいと「梅酒」という題に立ち返ってみましょう。
少しこじつけになるかもしれませんが、梅酒の材料となる梅で有名なのは「南高梅」。こちらは、白い梅の花を咲かせます。
梅の花言葉は色によって異なってくるのですが、「白梅」は「気品」という意味を持っています。
また、梅全体で見ると、「忍耐」「忠実」なんて意味もあります。
どことなく、智恵子に重なっているような気がします。
また、梅には英語の花言葉があるのだそうで。
いくつかあるなかで、目に留まったのが「Keep your promise(約束を守る)」という花言葉です。仮にこの花言葉を詩に重ねてみるならば、「約束」は何に当たるんだろうとふと考えてみました。詩の中の一部分を引用してみます。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
智恵子は生前、光太郎のことを想って「ひとりで早春の夜ふけの寒い時にこれを召し上がってください」と梅酒を残していきます。
これが「約束」にあたるのではないでしょうか。
そう捉えると、光太郎が「あなた(智恵子)との約束を守って、今こうして梅酒を味わっているよ」とメッセージをこめているようにも読めますね。しかも、何にもかえがたい手作りの梅酒。

音読してみても楽しい
実際に頭の中で何度も繰り返してみて気づいたことですが、この詩はリズムもいいです。
特に「狂瀾怒濤の~」のあたりからが好きですね。
音的にはわりかし激しくて、でもそれが最後の「夜風も絶えた」できゅっとしぼられるかんじ。
ぶわわと鳥肌が立つ終わり方です。
ふだんの会話で、「夜風も絶えた」って使ったらかっこよさそう…。


こんな考察ができるのでは…?
この作品おすすめだよ!
などあったらぜひ教えてくださいな。
それでは、また。