みなさんこんにちは、ノミです。
いきなりですが、学校の国語の教科書で忘れられない作品ってありますか?
『スイミー』や『少年の日の思い出』のインパクトが大きかったですね…。
そんな中でも私の中で断トツのトップに立っているのが、高村光太郎による作品『レモン哀歌』です。
今回はレモン哀歌についての紹介と、簡単な感想・考察を記したいと思います。

レモン哀歌とは
レモン哀歌は、詩人でもあり彫刻家でもあった高村光太郎による詩です。
レモン哀歌自体は『智恵子抄』という作品の中に載っていて、「智恵子」は光太郎の妻・高村智恵子を指しています。
「レモン哀歌」は智恵子が亡くなる瞬間を描いたものです。
智恵子は病におかされている、永遠の別れの瞬間であることを踏まえた上で次の作品を読んでみてください。
レモン哀歌
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
【引用】高村光太郎『智恵子抄』(新潮社、1956年)
※『智恵子抄』全体は『青空文庫』で読むことができます。個人的には「梅酒」という章が好きです。
爽やかでもあり異質でもある空間
私がこの詩を読んだのは中学の時(小学校のときだったような気も…)が初でした。国語の教科書にのってましたね。
知識も何もなく、この詩が初見だったのですが、
「これ、ほんとうに死の床なの?」
と不思議に感じました。
「悲しいのに明るい」、一見相反する概念が同居している空間。
ただ、ぐっさり心をえぐって今も脳みそにこびりついている理由は、「爽やか」「異質」という一言におさまらないと思ったので、今回真面目に考えていきます。
『レモン哀歌』の感想と考察
『レモン哀歌』について、
①色の面での特徴
②明るさと悲しさの同居
③「レモン」と「桜」に関するアプローチ
④好きなフレーズ
この4点を考えていきたいと思います。
『レモン哀歌』色の面での特徴
まずはレモンの「黄色」。
「白」、「トパアズいろ」、「青」、「ピンク(桜)」。
あと「山巓」というワードは緑色も想起させますね。

読んでみて思うのが、死の床のわりにやけに明るい情景だということ。
でも、作中にちりばめられた「色」もしくは色を表す物体にはひとつひとつ意味があるんじゃないかとも考えられます。
レモン(黄色)
レモンの花言葉は「誠実な愛」、「思慮分別」。
(花単体、実単体でも変わってきますが、今回は全体としての意味をとりました)
光太郎の智恵子に対する想いが暗に記されていると思います。
また、「トパアズいろ」も黄色ですね。トパーズ自体にも「誠実」という意味があるので、レモンにも重なってきますね。(ただ、トパーズに関しては黄色に限らず青など、他の色のものもあります)
かなしくしろくあかるい死の床
この「白」は「悲しい」と「明るい」の両方を示す言葉として機能しているのでは…。
周辺に何もないような悲しさ、明るく白い日差し。
底知れない悲しさも伝わってくるのに、どん底という感じがしない。
むしろ優しく明るい空間と捉えることができるのが、この作品の不思議なところです。
青く澄んだ瞳
色相環にのっとると、黄色の補色は紫や青色にあたります。
この色のギャップというか差が、空間をより鮮やかなものにしていますね。
ピンク(桜)
こちらも鮮やかな色。
黄色に青に、白にピンク…

桜についての考察は③でもう少しつっこんでいきます。
明るさと悲しさの同居
色の鮮やかさに象徴される「明るさ」と「悲しさ」がこの作品には共存しています。
咽喉に嵐がある、命の瀬戸際という記述から智恵子の苦しさがわかります。
でも最期には「すずしくひかるレモン」にフォーカスが当てられていて、妙に明るいんです。
で、なんでこんな空間を描いたんや?という疑問にぶち当たるわけなんですが…
その答えは「レモン」「桜」にあるんじゃないかと思っています。
「レモン」と「桜」に関するアプローチ
まずは「レモン」に触れていきます。
レモンの花言葉のひとつは「誠実な愛」。
桜の花言葉は「純潔」「優れた美人」など。
桜の品種によって差異があるとのことで、生け花に向いている桜について調べていたんですが、これといった結果に行きつけず…(知っている方いたらぜひ教えてください)。
ただ全般的な意味の一つに「優れた美人」があったのでしっくりくるなと感じました。
光太郎は、ほんとうは悲しいはずの空間に、意図的に「色(やそれに関する物体)」を加えたのではないでしょうか。
智恵子が死の瀬戸際に「生涯の愛を一瞬にかたむけた」ように、光太郎もそれに応えるようにしてこの詩を記したのでは…。
切なさと明るさ、悲しさと鮮やかさ。
情景を思い浮かべると、ひとつの絵画のようにも思えてきて、光太郎が美術にも繋がっていたということにも頷けます。
好きなフレーズ
作品の鮮やかさ、切なさ以外にも私が注目したワード(かつ好きなフレーズ)があります。
それは、
「あなたの機関はそれなり止まつた」です。
「機関」というワードは、人間に向けて使うというよりは、機械に使うイメージが強いです。
あとは機械の動く原理であったり。
あえて「機関」を使ったのはなぜなのか。
「機関」はからくりや仕掛けという意味も持っていて、その面を考慮すると
「歯車のようなしかけや仕組みの動きがだんだんゆっくりになっていって、ぴったり止まる」
イメージが思い浮かびます。機械イコール歯車というのは少し安直ですかね…(汗)
リアリティをもった言葉ではなく、あえて無機質な描き方をすることによって、お伽話のような不思議な読後感を完成させていると思います。
でも、意味はするりと入ってくるのがほんとうにすごいと思います。
まとめ
今回は『レモン哀歌』の紹介と、感想・考察をしました。
私の感想・考察はふっとばしていいので、作品だけでも読んでいただきたいです。
20を超えた今でもこの『レモン哀歌」の世界観や、表現は忘れられません。
みなさんの、忘れられない作品もぜひ教えてください。
それでは、また。